「……ヒビキ、ヒビキ、いつまで寝てるの〜?」
心地よいカナデの優しい声が耳に響く。
んん〜と言いながら寝返りを打ち、それでもそのまま寝続けようと
した。
このままカナデの声を聞き続けるのもいいかもしれない。
寝ぼけている俺は半分夢の中でそう思う。
「ヒ・ビ・キ〜!」
いきなり耳元で大きな声を出され、あわてて俺は飛び起きた。
すると俺のベットの側にカナデが立っている。
「クスッ。そんなにびっくりしなくてもいいのに。
もうすぐで夜ご飯の支度が終わるから、それまでにお風呂
入っちゃってくれる?
昼間は気持ちよさそうに寝てたから起こさなかったけど、
さすがに夜はお腹がすくでしょ?
じゃあよろしく〜。」
そう言ってパタンと戸を閉めて出て行った。
あ〜、びっくりした。
ふと枕元の時計を見ると、もう夜の6時。
朝ご飯の後、そんなにしないで寝始めたから……我ながら随分
寝たもんだ。
でもしょうがないだろ?
昨夜はカナデのキスの理由が気になってなかなか寝付けなかったし、
普段の部活疲れもある。
……まずは風呂だ。
俺はふわぁ〜とあくびをしながら風呂に入りに行った。
俺と入れ替わりに風呂に入ったカナデが上がるのを待って、
俺達は夕飯を食べ始めた。
今日はカナデ得意の五目あんかけ焼きそばだ。
これは絶品だと俺は心底思ってる。
料理が全然×な俺は、同じくダメな親父と二人の頃
レトルト、コンビニ、外食で済ませていた。
でも又4人の生活が始まると同時に、
たまに家族でする外食以外全て手料理になった。
たまにはコンビニ弁当でもいいのに、と俺がお袋に言うと、
空手は体が資本なんだから!と言われた。
だから今日みたいにお袋がいない時は必然的にカナデが
作ってくれる。
今でこそお袋は専業主婦だが、離婚していた時は仕事をしていた。
だから少しでもお袋の助けになる為にとカナデが作るように
なったらしい。
カナデが作る味はやはりお袋に似ていて、とても手早く
味付けも最高。
そう言えばここ最近週末にカナデが外出するようになってから、
俺はレトルトばかりだったなとふと思い返してちょっと暗くなった。
そんな俺に気付いたのか
「ん?今日の焼きそばおいしくない?」
とカナデが首をかしげながら聞く。
「い、いや、そんな事ない!全然おいしいよ!
やっぱりカナデの焼きそばは最高だな!」
カナデの勘違いにあせってそう言うと
「クスッ。どうしたの?ヒビキ、キャラ変わってるよ?」
と言われ、俺は珍しく真っ赤になってしまった。
それを見てカナデは更におかしそうにクスクス笑った後
「まぁ、おいしいならいいけど。早く食べよ?」
俺はカナデに促されるまま焼きそばを食べ、
腹が一杯になった所でテレビをつけソファに座った。
面白くもないお笑い番組をボーっと見ていると、
カナデがはい、と麦茶の入ったコップを俺に渡してきた。
もうすぐ夏を迎える今の時期、
俺もカナデもパジャマ代わりにTシャツとハーフパンツという格好だ。
サンキュ、と答える俺の隣に同じく麦茶を持って座ったカナデは、
一口ゴクッと麦茶を飲む。
それを横目で見ながら、あぁ、あの唇と昨日キスしたんだなぁと
思った。
ハーフパンツから覗く足は脛毛も薄く、相変わらず細い。
それに体力作りで外を走り回る為に思いっきり日焼けしている俺と
違って、病的な訳ではないが腕も足も白い。
……俺、何考えてんだろ。
カナデは麦茶をテーブルに置くと、
そのままソファで体育座りをするように膝を抱えている。
俺は視線を又テレビに戻し、ふと思い出した。
そう言えば昨日カナデはこの連休中ゆっくり話がしたいと
言っていなかったか?
すっかりキスに意識を取られていたが、そんなような事を言ってた
気がする。
でも、カナデが俺に何を話すんだろ?
もしかして彼女を俺に紹介するとか?
……それは絶対嫌だ。
何でかわからないけど、
俺の目の前で彼女とイチャつくカナデなんて絶対見たくない。
それとも八つ当たりした俺に逆ギレしたとか?
キスも仕返しだったりして。
それはそれで悲しい。でもカナデはそんな事する奴じゃないし……
そんな事を俺がぐるぐると考えていた時だった。
「……ヒビキさ、今何考えてる?」
視線はテレビに向けたまま、
体育座りをした膝に顔下半分を埋めながらカナデが聞いてきた。
「え?え、え〜と……」
いきなりの質問に戸惑いはしたが、
お袋の『自分と向き合ってみなさい』という言葉がよぎった。
今の俺の悩みが全てカナデに由来してる事を考えると、
カナデと向き合う事も自分に向き合う事だと言えるのかもしれない。
だったらカナデの口から答えをもらう事で解決できるものも
あるかもしれない。
空手をやる時のように身体の芯にグッと気合を入れながらカナデに
向き直り、俺は意を決して正直に答えることにした。
「俺が今考えてるのは、カナデは俺が部活をやっている間
何してるのか。
休みの日は一体どこに行ってるのか。
一緒にいたのはカナデの彼女なのか。
何故カナデは昨日俺にキスをしたのか。
…………女の子と一緒にいるカナデを見てイラついてる俺は、
一体自分が何を考えてるのか。」
一気にそこまでしゃべってから、ジッとカナデの横顔を見つめた。
沈黙が走る。
カナデの目は相変わらずテレビを向いたままだ。
カナデが気付かないようにフッと息を吐いて、
やっぱり言わなきゃ良かったかなと思い始めた時。
「ヒビキが部活をしている間、俺は隣の図書館にいる。
休みの日は次のバイトの子が見付かるまででいいからと頼まれて、
叔父さんのとこで手伝ってる。
ヒビキが俺を見た時に一緒にいたのは星稜の子で、
図書館で知り合った。
家が同じ方向だからたまに一緒に帰ってた。」
俺が今言った事の答、いくつかは省かれていたが、カナデは
そう答えた。
俺達の学校の隣には結構大きい市立図書館があって、
俺が部活をやっている空手道場からも良く見える。
当然学校の図書室とは揃っている本の数が違う為、利用する奴が
結構多い。
本好きのカナデが以前から出入りしている事はカナデ本人から
聞いていた。
ただ、学校から歩いて5分の距離に星稜学園という女子校があり、
俺達の男子校との実質出会いの場になっていることも間違いない。
じゃあカナデといたのはそこの学園の子か。
ちなみに『叔父さん』とはお袋の実の弟で、確か喫茶店をやっている。
俺も小さい頃会った事があるが何かと変わった所のある人で、
正直俺は苦手な部類だ。
なので離婚した後は一度も会っていなかった。
そんな経緯があるのでカナデは俺に言わなかったのかもしれない。
「叔父さんのとこ、人手が足りないのか?」
そう聞く俺に
「たまたまレジを任せていた子が突然止めちゃってね。
他のバイトの子はまだ日も浅いし、
やっぱりお金の事だから信頼できる人に任せたかったんじゃない?
でもこの前レジを任せられる子が出来たって言ってたから、
もう行かないけどね。」
ん〜確かにお金が絡んでくるとそうそう信頼関係が出来ていない人に
任せ辛かったんだろうな。
それに代わりが見付かって、もうカナデが行かないなら関係ないし。
「一緒にいた子はたまたま家が同じ方向ってだけなんだろ?
それなのに腕組んで歩いたりするのか?」
そう聞く俺に、カナデはあー……とちょっと言い辛そうに答えた。
「……実は以前告白されてて、断ったんだけど、
一緒に帰るだけでいいからと言われて、それぐらいならいいかと
思ってそうしてた。
でも結構しつこかったから、やっぱりもう一緒に帰らないって
断ったんだ。
そしたら一度だけ腕を組んで一緒に帰ってくれたら
又友達に戻るからって言われて仕方なく、ね。」
やっぱり告白されてたんだ……
でもカナデは何で断ったんだろう。
ストレートの髪が腰まである、色の白い綺麗な子だったが……
「何で断ったんだ?他に好きな奴でもいるのか?」
俺が又質問すると、カナデはふっと顔だけ俺の方を見て言った。
「俺は今の段階で答えられる事には答えたよ?次はヒビキの番。
昨日の俺の質問に答えてよ。そっちが先じゃない?」
……しまった。
そう言えば昨日うやむやになったままだったんだ。
カナデが女の子と一緒にいる姿を見て俺が機嫌悪くなった理由。
彼女じゃない事は今のカナデの話からわかった。だけど……
「……正直な話、俺にも何でこんなにイラつくのかわからない。
カナデに彼女が出来たかもしれないって思っただけで
ものすごく腹が立ったし、カナデには誰かと二人っきりに
なってほしくない。
カナデが俺以外の誰かに笑いかけるのも見たくない。
まして誰かがカナデに触れているのを見るだけで、
触るな!って叫びたくなる。
この前の子だけじゃなくて、お前のダチが肩を組んだりするだけでも
許せない。
……何でこんな風に思うのか、俺自身、全然わかんねぇんだよ!」
思わず興奮して声がでかくなってしまった。
俺ははぁ〜とため息をつきながら両手で顔をおおい、
ソファの背に倒れこんだ。
少しの間沈黙が流れ、テレビからは相変わらず雑音のような音ばかり
流れている。
ギシッ。
ふいにソファの軋んだ音がし、カナデが近寄ってくる気配がした。